コンクリートほど普遍的な建築技術は存在しなかった

2011.11.18

「二〇世紀とは、どんな時代でしたか」とたずねられたら、みなさんは何と答えるだろうか。僕は躊躇なく、「コンクリートの時代でした」と答える。それほどに、コンクリートという素材と、二〇世紀という時代は、相性がぴったしだったのである。ぴったしだっただけではなく、コンクリートという素材が、二〇世紀の都市を作り、国家を作り、文化を作った。その産物の上に、今も僕らは暮らしているのである。二〇世紀のテーマはインターナショナリズムでありグローバリゼーションであった。

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ひとつの技術で世界を覆いつくし、世界をひとつにすることがこの時代のテーマであった。物流、通信、放送、あらゆる領域でグローバリゼーションが達成されたが、建築、都市の領域で、それを可能にしたのがコンクリートという素材だったのである。まずコンクリートは場所を選ばない。木の薄い板を組み立てて型枠を作る程度の技術は世界中どこにでもあったし、コンクリートの構成材料である砂、砂利、セメント、鉄筋は世界中どこでも入手可能であった。型枠の中に鉄筋を組んで、砂、砂利、セメントを流し込めば、それまでである。鉄骨の建築も、二〇世紀の産物ではあるが、鉄骨造はコンクリートに比べれば、はるかに難易度の高い、高度な技術であった。コンクリートほどに普遍的(グローバル)な建築技術は、かつて歴史上存在しなかった。だからルーコルビュジエは、インドの大平原のなかのチャンディガールのような場所で一九五〇年代に新都市を作る時にも、コンクリートを自由にあやかって、空に浮かぶ巨大な彫刻のような自由な造型ができたわけだし、一九七〇年代にルイスーカーンがバングラデシュの国会議事堂をダッカに作った時も、コンクリートを選択して、古代遺跡のような姿の建築を作ったのである。わが日本の丹下健三だって、日本の伝統辺築の木組みを想起させる傑作、香川県庁舎をはじめとして、その作品の大部分はコンクリートである。彼らは地域文化を尊敬し、風土を尊重する偉大な建築家ではあったが、それでも石造も、鉄骨造も木造も、そしてもちろんその地域に昔から伝わるローカルな工法も選ばなかった。